はじめまして。
こっこと申します。
ブログにお越しいただきありがとうございます。
私は夫が転勤族の二人の子どもがいる地方在住ママです。
「仕事が好きなので、子育てと両立しながら頑張りたい」と思い働いていましたが、
常に時間に追われる毎日、子ども達に「早く」しか言えていないことに
自己嫌悪に陥っていました。
そんな中、働き方を模索していると「在宅ワーク」があるのを知り
挑戦することに決めました。
このブログでは「転勤族ママでも、キャリアアップも子育ても諦めずに、
1年後に在宅ワークで月収30万円稼げるようになる」までの成長過程を発信していきます。
まずは自己紹介と合わせて、私が在宅ワークを始めようと思ったきっかけを
お話ししたいと思います。
基本情報
名前:こっこ
年齢:44歳
性別:女性
家族構成:転勤族の夫、小3の娘、年長の息子
仕事:オンライン秘書(貿易事務、リサーチ業務)
趣味:旅行、YouTube視聴、ホットヨガ
幼少期~大学時代:好奇心旺盛な学生時代
私は、みかんと魚が美味しい愛媛の田舎で生まれ育ちました。
会社員の父と幼稚園の先生をしている母、4歳下の妹がいるごくごく普通の家庭でした。
「やりたいことは何でも挑戦したらいい」という考えの両親だったため、
好奇心旺盛な私は習字、ピアノ、そろばんや水泳など、毎日いろいろな習い事に
忙しい小学生時代でした。
中学生の時はバレーボール部に所属し、キャプテンをしていました。
毎日の練習に熱中し「The 青春」のような日々は、楽しかった思い出です。
進学校で過ごした高校生活は、テスト漬けの日々で「暗記重視のやらされる勉強」に
何も目的が見いだせず、うんざりした毎日でした。
そんな中でも高2の夏休みにオーストラリアにホームスティをし、
3週間現地の高校に通った経験は、その後の進路に大きく影響するイベントになりました。
ホームスティ中は、日本の学校で習う文法重視の英語ではもちろん通用せず、
オージーEnglishにも苦戦しました。
でも最終日に先生が話してくれた言葉だけはなぜかスッと理解でき、
今でもはっきり覚えています。
「オーストラリアには、膨大な資源と土地がある。でもあなたたち日本人は、
どっちも持っていない。だから頭を使って生きていく必要があるんだよ。」
高校生にとっては、衝撃的な一言。
でも初めて世界から見た日本の立ち位置が少し分かった気がして
「日本人としてがんばらないといけないな」と思いました。
高3になってやっと本格的に受検勉強をスタートするも
志望していた大学に落ち、アメリカの大学に留学することを決断。
浪人することも考えましたが「どうせなら違うことに挑戦しよう!
オーストラリアでの受けた刺激のように、何かあるかもしれない」
そう思いカリフォルニアの田舎町の大学に、4年半通いました。
比較的治安も良く、キャンパスには野生のリスがいるような自然豊かな環境の中で、
楽しく充実した大学生活・・・と言いたいのですが、現実は違いました。
孤独との戦い。
当たり前ですが、たどたどしい英語しか話せない私と
「友達になりたい」と思ってくれる人はそうおらず、
初めて「友達ってどうやって作るんだっけ?」と考えました。
日本人が100人以上はいる学校だったので、
その輪の中に居れば孤独は紛らわせたと思います。
でも「何のためにアメリカに来たのか?」を考えると、
そこに入る気にはなれませんでした。
そして孤独を紛らわすためにのめり込んだのが勉強です。
アメリカの授業ではグループワークがよくあるのですが、
クラスメートから「留学生とは同じグループになりたくない」と
断られることがありました。
他にも一部のクラスメートに
「あの日本人、どうせそんなに英語分かってないんだろ」と冷たい目線を感じることも。
それが悔しくて、見返したくて毎日勉強ばかりしていました。
そのおかげで、高校時代あんなにつまらなくてやりたくなかったのに
「自主的に取り組む勉強は面白い」と気づくことができました。
もちろんずっと孤独な留学生活を送っていた訳ではありません。
最後の1年間は信頼できるアメリカ人の友達も何人かでき、
「楽しい。充実している」と感じながら過ごせました。
そう思えるようになったのは、私の英語力が上がったのもありますが、
外国人との上手な付き合い方、文化の違いの受け入れ方が分かり、
心を開いて関われるようになったからだと思います。
またアメリカ人の友人や先生達がよく「一生勉強」と言っていましたが、
私自身も大学の4年半で、社会人になってからも自ら学ぶ姿勢を
身につけることができたと思います。
好奇心旺盛な田舎っ子が、オーストラリアでのホームスティ、アメリカ留学で
多くの刺激を受けました。
そこでの新しい視点や考え方は、社会人になってからもいい影響を
与えてくれました。
社会人:仕事を通して自己成長を求めた20代
アメリカの大学を卒業後、日本に帰国し就職活動のために東京へ引っ越しました。
大学在学中も就活をしていましたが、突然の面接連絡に対応できず日本に帰国してから
行うことにしました。
しかしいざ日本で就活を始めるも、卒業時期と採用試験の時期が合わず、全く進まない。
「家賃くらいは自分で稼ごう」とアルバイトを探そうとしていた矢先「派遣」という
働き方を知りました。
さっそく派遣会社に登録し、貿易事務の仕事をスタート。
しかし社会人未経験で「会社で働く」ことの基本もよく分かっていなかったので、
「日本の会社っていうのはね・・・」というところから教わりました。
貿易事務を選んだのは、少しでも英語が活かせるのでは?と単純な理由でしたが、
仕事はとても楽しくて充実した毎日でした。
「こんなに新しいことをいろいろ教えてもらいながら、お給料ももらえるの!
めっちゃラッキーじゃん。」
しかし仕事を始めて1年ほど経った頃、私の中でコンプレックスが芽生えました。
「25歳で社会人1年生。年齢の割に、経験がない」
そこで「1年で経験することを、忙しい会社で働いて半年で経験しよう」と考え、
残業の多い会社に派遣先を変えました。
貿易事務は業務範囲が広く商社、乙仲、メーカー、船会社など、
どのポジション(会社)で働くかで必要な知識とスキルが変わってきます。
次第に「いろいろなポジションで働いて、経験値と引き出しを増やしたい」と
思うようになり、習得したいスキルに合わせて派遣先を変えていく働き方にしました。
それは自分の市場価値を知ることができ「足りないスキル」が分かるいい機会
にもなりました。
忙しい毎日でしたが、いろいろな経験を積むことができ、仕事の幅を広げることができた
20代・30代前半でした。
経験値を積むことに一生懸命でした。
結婚~岡山での生活:地方で「働く」とは?
33歳の時に仕事で出会った夫と結婚し、転勤先の岡山に引っ越しました。
結婚当初は失業保険をもらって3ヵ月間くらい専業主婦をしましたが、
車の運転ができず、行くところもないので暇すぎて廃人状態。
「こりゃいかん」と思い就活を始めるも予想通り、
貿易事務の求人は少なく給料も低い。かといって選択の余地はありません。
やっと見つけた貿易事務の仕事をスタートしました。
就職先の乙仲での仕事はそこそこ忙しく、東京では経験したことない現場の仕事を
知ることができいい勉強になりました。
でも給料をもらう度に「なんで地方と東京ってこんなに差があるんだろう?
やっている仕事はそんなに変わらないのに。地方と言っても車必須の環境だと、
維持費だけでも結構お金がかかるのに」といつも残念な気持ちに。
そして夫の転勤先次第で「私の収入は大きく変わる」ことを悟りました。
仕事を始めてから2カ月ほど経ったとき妊娠が分かりました。
つわりがそんなにひどくなかったこともあり、妊娠8カ月まで働きましたが、
就業してから1年以内だったので産休・育休を取ることができず退職しました。
仕事も選択肢が少ないことを実感しました。
1人目出産後の仕事復帰:やりがいゼロで働く葛藤
子どもが一歳になったのを機に、仕事復帰を決めました。
生まれてから毎日一緒にいた娘と離れる寂しさはありましたが、
久しぶりにまた仕事ができることにワクワクでした。
待機児童がいる中で、保活に苦戦しながらも運よく保育園が決まりました。
希望していた貿易事務の仕事にも時短勤務で就くことができ、一安心しました。
しかし現実は請求書の作成やファイリングなど、雑務的なことが多く
やりたい仕事はほんの少しだけ。
楽だし休みやすいけど、やりがいはゼロ。
「こんなことするために、今まで頑張ってきたわけでも努力してきたわけでもない」
心の中で毎日のようにつぶやいていました。
でも月に1度は保育園からの呼び出し、
その流れで2~3日お休みすることが多かった娘にはありがたい職場環境。
「仕方ない、仕方ない」そう言い聞かせていました。
ある日、独身の男性スタッフが言ってきました。
「こっこさんにもっとやる気と向上心があるなら、ぜんぜん仕事振りますよ。」
「は?何言ってるの?」と思った私は思わず
「やりたくても言えるわけないじゃないですか。いつ保育園から
呼び出しがくるか分からない、急に休まないといけないかもしれないのに。
その言葉に責任が持てません。」
10人ほどしかいない小さな事務所は、もちろんシーンと静まりました。
すると上司が
「働くお母さんって、そんな気持ちで頑張ってんだね。
小さい子どもがいたら、ほんと大変ですもんね。
分かりますよ、うちの奥さんも同じような理由で専業主婦を選んでるんで。」
男性スタッフ
「こっこさんに小さい子どもがいて、大変なんて100も承知ですよ。」
上司
「君には絶対分からないよ。だって結婚してないし、小さい子どももいないじゃん。
本当の大変さなんて分かるわけないじゃん。俺でも全部は分からんよ。」
悔しかったのか、それとも少しでも理解しようとしてくれる人がいることを知って
嬉しかったのか、私の目には涙が溜まっていました。
それ以降は会社も私の気持ちをくみ取ってくれ、残業の多い新入社員のサポートとして、
手が空いたときに彼女の仕事を手伝うようになりました。
サポートとは言え、貿易に関わる仕事ができるようになり「仕事の生きがい」を
少し見つけることができ嬉しかったです。
その後1年ほど勤務していましたが、二人目の妊娠と夫の福岡転勤が
同じタイミングで分かり退職しました。
子育てと仕事のバランスは難しい。
働きやすさを求めると、仕事のやりがいを捨てないといけない葛藤に
もがいた1人目出産後の仕事復帰でした。
福岡転勤~2人目出産後の仕事復帰:
仕事と子育てのバランスは成立しない
転勤先の福岡で、ほぼワンオペ状態で子育てをしていましたが、
二人目の子どもが1歳になるタイミングでまた仕事復帰することにしました。
3月生まれ且つ、待機児童激戦区の地域。
区役所からは「入園できたら奇跡です」と言われましたが、
運よく近くに小規模保育園が2か所新設され、息子の保育園生活がスタート。
私も時短勤務で貿易事務の仕事が決まり、バタバタ生活の始まりです。
まず朝の難問は、幼稚園に通う娘と保育園の2か所送迎。
1秒も無駄にできないので、私の移動は常に猛ダッシュ。
運転中は、子ども達に急かす言葉しかかけられない自分への反省会。
毎朝「明日から5分早く出れるようにがんばろう」と誓うのに、
その5分がなかなか縮められないのです。
会社に着いて「あー、疲れた。」パソコンが立ち上がるまでが、
私の休憩タイムでした。
仕事は時短勤務といえど雑務やサポート的な業務ではなく、
独身時代のようにお客さんを担当していたので、
やりがいを持って働くことができました。
ただ前任者が8時間で行っていた業務量を、7時間で終えなければいけない
という謎の仕事配分だったので、常に時間に追われていました。
時短勤務のはずなのに、毎日30分残業。
子ども達のお迎えに間に合う17時15分までには、
何がなんでも仕事を終わらせなければいけない毎日のプレッシャーは
半端なかったです。
そして仕事を終えてからが、また時間との戦いです。
仕事同様?それ以上のハードワークが待っています。
急いで子ども達を迎えに行き、夜ごはんの支度。
ご飯を食べさせてから後片付け、お風呂に入れて寝かしつけまで
ノンストップの毎日にクタクタでした。
そんなハードな毎日の中、心の慰めはお給料。でも給料明細を見てガックリ。
「こんなに毎日あせこせ働いてるのに、これだけ?」東京での収入を知っている分、
余計バカらしく感じてしまいました。
仕事のやりがいはあるけど、時間はない。
2人目出産後の仕事復帰は、いつも時間に追われて毎日クタクタすぎました。
小1の壁:子育てに「やり残し」はしたくない
娘が小学生になり、朝の送迎が保育園だけになるので「少しは楽になるかな」と
思っていましたが甘かったです。
放課後は学童に通っていたので、保育園との2か所送迎は変わらず、
バタバタ時間との戦い。
娘の登校時間に合わせて早く寝させないと、と思うと出てくる言葉は
「早くご飯食べて」「早くお風呂に入って」「早く〇〇して」「早く…」
そんな中、小学校に通い始めて2か月ほど立った頃
私、子ども達に「早く」しか言ってない。本当は、学校どうだった?給食は?お友達は?
聞きたいこと沢山あるのに。
「これは私が望んでいる子育てじゃないな。」
娘が生まれたとき「子育てに正解はないから、失敗や間違いはたくさんすると思う。
それは修正していけばいい。でもやり残しだけは絶対にしたくない」
そう思ったことを思い出しました。
このままだと「やり残しだらけになる」そう思うと「会社辞めよう」と
あっさり答えが出ました。
よく耳にしていた「小1の壁」は、学童に入れないなど物理的なことだと思っていました。
だから何も問題ないし、私には関係ない。
でも実際はそれだけではなく、心の弊害も当てはまることに気がつきました。
「小1の壁」は思っていたよりも高い。
忙しさは変わらないし、「やり残しだらけの子育てになる」と思ったら
あっさり仕事を辞められました。
新しい働き方の模索:
在宅ワーク x Webマーケティングの可能性
会社を辞めることを決めてから、3ヵ月後に退職しました。
働くことは好きなので、仕事とスキルアップ、子育ての両立ができる仕事、
働き方がないか模索していたところ「在宅ワーク」があることを知りました。
在宅ワークなら、自分のペースで調整しながら仕事ができるので
子ども達の話をゆっくり聞いてあげられる、急な病気にも対応できる、
夫が転勤になっても仕事をやめなくてもいい、頑張り次第で収入は青天井・・・。
「いいことだらけ!これだ。」と。
でも在宅ワークにどんな仕事があって、自分には何ができるのか、
向いているのかが分かりませんでした。
ただ調べていて分かったことは「ライター、Web制作、Webデザイナーなど何でも、
Webマーケティングができると仕事が途切れない。稼げるようになる。」
「Webマーケティングの習得」がキーポイントということでした。
そこで私はオンラインスクールに入り、
Webマーケティングを勉強することに決めました。
そして今は
「Webマーケティングを習得し、仕事も子育ても諦めないで
在宅ワークで1年後に30万円稼げるようになる」
ことを目標に挑戦しています。
ママには最適!いいことだらけの「在宅ワーク」と思ったけれど、
稼げる在宅ワーカーになるには、Webマーケティングを習得することが
カギだと分かりました。
最後に
最初にお話ししたように私の目標は「キャリアアップも子育ても諦めず、
在宅ワークで1年後に月収30万円稼げるようになること」です。
もちろん子育てをしながら新しいことへの挑戦は簡単ではありませんが、
自分の望む未来を手にするために頑張っていきます。
私と同じように「仕事も子育ても頑張りたい」
「転勤族でもキャリアを継続したい」ママに、
この挑戦が少しでも参考になるように発信していきたいと思います。
よかったら見守ってください。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
こっこ